旅 常 人 -RYO JYO TO-

旅を振り返りながら、これから旅する方にアドバイスします

ベトナム ホーチミン

ベトナム ホーチミン
現在、高度成長期であるベトナム経済を引っ張っているのがホーチミンで、いくつもの高層ビルが立ち並び、随一の繁華街ドンコイ通りには、雑貨店やブティックなどが点在しています。ドンユー通りを左に入ると、おしゃれなカフェやレストランがずらり。ショッピング&グルメを満喫できます。
ベンタイン市場では、あらゆる物と人が集まる商都ホーチミンを実感できることうけあいです。
旧市街はフランス統治時代に築かれたサイゴン大教会や劇場、郵便局など、フレンチ・コロニアル風の建物や街並みがきれいで「東洋のパリ」と言われる程です。
郊外には、果樹園や田園、水上マーケットなど南国らしい開放的な光景が広がります。最も人気なのは、アジア6カ国をまたぐ全長4000kmの大河メコンではないでしょうか。土色の河と青々と生い茂るマングローブの風景こそ、これぞベトナム南部の大自然を感じさせてくれます。ホーチミンから片道2時間で行けるジャングルクルーズは、ここまで来たからには足を延ばすべき場所かと思います。

メコンデルタの村、ミトーやカントーでは名産のフルーツを食べたり、ココナッツ工場を見学したり出来ます。

 

ベトナム料理は中華料理とフランス料理の影響を受けています。ヌックマムという魚醤が調味料としてよく使われ、米食文化で、麺類や春巻の皮なども米から作られています。

ロシア モスクワ

ロシア モスクワ
ヨーロッパロシア中部にあり、モスクワ川に臨んでいます。面積 は約1035km2 人口は約 1150万人です。
13世紀後半にモスクワ公国の首都となりました。
タタール人に統治された期間を経て、モスクワ大公国時代に大躍進します。漸次ロシアの政治,経済,文化の中心となり,15世紀末にクレムリン がつくられました。1712年にサンクト=ペテルブルクに遷都しましたが,その間もモスクワはロシアにおいて経済,文化の中心地でした。
1812年ナポレオン1世の占領と大火により大損害を受けましたが、逆にその事が幸いし、街の再建と同時に近代工業化が加速したことからモスクワはサンクトペテルブルグに次ぐロシア第2の工業中心地となりました。
ロシア革命後、再びモスクワに首都が移されると,ソビエト連邦の中心として急速な発展を遂げ,人口でも当時のペトログラードサンクトペテルブルグ)を抜いてソ連第1の都市となりました。
1935年より都市改造計画が始まり,また第2次世界大戦後の市域の大拡張に伴う新しい高層建造物の増加によって近代的な大都市に変貌した。
環状高速自動車道により市域外の森林公園と区分され,市域の無秩序な拡大を防いでいる。工業は機械,化学,食品,印刷,繊維などが発達しているが,新技術の開発部門,技能労働者を使用する部門の比重が高いです。
モスクワには 11本の幹線鉄道が集まるとともに,四つの空港,三つの河港があり,国内各地,世界各国と連絡しています。
また市内交通は地下鉄,バス,トロリーバス,市電が中心です。なかでも地下鉄の発達はめざましく,環状,放射状に市域を走り,他の交通機関に比べて乗客数が多いです。

オランダ アムステルダム

オランダ アムステルダム

アムステル川に築かれたダム(堤防)」という意味がアムステルダムの語源です。その名の通り、街には160本以上の運河と1500以上の橋があります。人口は約◯◯万人。
17世紀にオランダ東インド会社の本拠地が置かれ、世界貿易の中心地として栄えました。市内には、今も全盛期の頃の建物が残っており、豪商の館は当時の繁栄を今に伝えている。
文化面でも秀でた街で、アムステルダムには多くの美術館や博物館があり、フェルメールやヤン・スデーンといった17世紀のオランダ絵画が集まる国立博物館や、世界一のゴッホ作品所蔵数を誇るゴッホ国立博物館などを筆頭にその数は60以上にのぼります。
また、この街を象徴するものに運河がありますが、運河を遊覧するクルーズも様々なコースがあり、沢山の観光客で賑わっています。

アフリカ ケープタウン

南アフリカには3つの首都があります。ヨハネスブルクプレトリア、そしてケープタウンです。ケープタウンは立法の首都で国内第2の人口を誇ります。

現地語ではカープスタットといいます。人口は約85万です。南アフリカ南西部に位置する美しい港町であり、テーブルマウンテン喜望峰などは世界的にも有名な絶景地です。
地中海の気候に似た温帯の気候風土をもちます。
1488年バルトロメウ・ディアスが来航して以来,ケープタウンはインドや東南アジア,東アジアに航行する船舶の重要な寄港地となりました。
ケープタウンは船舶が多く集まるため、沢山の造船会社や海運業者があります。船舶の修繕も主要産業の一つです。
2010年にサッカーワールドカップが開催され、世界中から注目を集めました。

オーストラリア エアーズロック

エアーズロック
先住民族アボリジニ族は「ウルル」と呼んでいました。イギリスの探検家が発見し、当時の南オーストラリア植民地首相ヘンリーエアーズの名にちなんで名付けられました。
世界で2番目に大きい単一の岩石です。

日本ではヒットした邦画「世界の中心で、愛をさけぶ」(04年)に絡む土地であることからウルルを訪れる人が増え、「パワースポット」としても人気があります。

エアーズロックの案内を見ると上まで登れない可能性があることが書かれています。非常に厄介な突風が突然、吹いたりするのです。鎖はあるにはありますが不安定で、ほんの申し訳程度のものです。ですから、自分で自分の身を守らねばなりません。風で体のバランスを崩したら鎖もないところから真っ逆さまに麓に転落しても何ら不思議のないところです。通常は片道1時間、往復2時間で登頂可能ですが、風が強かったり、気温が高かったり、アボリジニの儀式が開催されたりすると登頂できなくなります。年間平均すると、登頂率は30%ほどしかありませんので、できれば確率を上げるために、エアーズ・ロックに2連泊することをお勧めします。

登頂の為の準備は重要です。トレッキングシューズ、リュックサック、軍手、水は最低限必要です。

東京タワーと同じくらいの高さですが、決して侮ってはいけません!最大斜度は47度もありますので、登山というよりはロッククライミングに近い感覚になります。鎖場を登るために軍手があった方が良いでしょう。

登頂の際、ガイドさんは同行しませんので、ご自身のペースで登ることになります。水1リットルを持参していることが登山に際して必須条件になります。

度胸試しの坂!

登りはじめ50mくらいは鎖がかけられていません。斜度は40度近くありますので、まずはここの区間をクリアする必要があります。決して無理はしないで下さい。恐怖心を感じたら、残念ですが登頂を断念して下さい。

150mほど続く鎖場が一番辛いです!

度胸試しの坂を超えると、次は鎖場になります。150mくらいをほぼ垂直に登っていく感じになります。この部分を超えるために30~40分くらいはかかります。本当に辛いので、ゆっくり鎖をつかみながら前進して下さい。足を滑らせないように慎重に進みましょう。

鎖場が終わると緩やかなアップダウンが頂上まで続きます!

かなり体力を消耗しているはずです。下山をするための体力も温存しておく必要がありますので、もしもキツく感じたら、頂上まで行くことを断念した方が良いでしょう。ここから20~30分で頂上に到着します。

ドラム缶のような標識が建てられた頂上に到着です!

標高は東京タワーと同じくらいですが、頂上からの景色は、もう少し高いような気がします。カタ・ジュタ(オルガ)も眺めることができます。登頂できると、非常に達成感を感じられる登山です。

アルゼンチン ブエノスアイレス

アルゼンチン ブエノスアイレス

タンゴ発祥の地で「南米のパリ」と言われている程、美しいヨーロッパ風の街です。人口は約290万人、先住民の占める割合が低く、白人系が多いのが特徴です。

 

レコレータ墓地はアルゼンチンで格式の高い、由緒のある墓地です。歴代大統領や、有名人、実業家、 貴族などが眠っており、「歴史が凝縮された場所」とも言われています。日本でいえば、高野山にあたるところでしょうか。

アルゼンチンでは昔から、この墓地に眠る事が"人生の成功”を意味し、誰もが憧れる地なのです。
数あるお墓の中で一際、大勢の人が集まるのがエビータの墓です。


クリスチャン・ディオールなどフランスの高級ブランドを愛好したエビータのエレガントなファッションに羨望の眼差しが向けられる一方、
彼女の贅沢な暮らしぶり、エバ・ペロン財団の不正な蓄財を批判する人々もいました。
また、選挙で選ばれたわけでもない彼女が国政に介入することに対する反発もありました。

とはいえ、労働者用の住宅、孤児院、養老院の設立などに務め、貧困層優遇政策、女性参政権の実現するなどの彼女の功績は、正当に評価されています。

アルゼンチン名物のアサード料理とはアルゼンチンの草原地帯であるパンパで豪快に肉を焼くガウチョ(カウボーイ)の料理です。牛肉がメインで、アルゼンチンは牛肉の消費量が世界一と言われています。アサードというのは「ロースト」の意味のスペイン語です。味付けは主に岩塩のみで、炭火焼きでじっくりと焼きます。余分な脂肪も落ちるため、肉本来の味が楽しめます。アルゼンチン人が毎週末、イベント行事で必ず食べる、人々の交流を温める料理です。

カミニートは、ヨーロッパの船が行き来した港街として栄えた場所です。1898~1928年には列車も通過し賑わいました。
その際に、移住してきたイタリア系移民がつくった下町文化の名残が今でも見られ、中庭やキッチンを複数の家族で共有する、トタンで出来た建物は、今ではレストランやお土産屋として毎日、観光客で賑わっています。

カミニートの近くにはマラドーナが在籍していたボカジュニアのホームグランドであるボカスタジアムがあります。

パリのオペラ座ミラノスカラ座とならぶ世界三大劇場のひとつがコロン劇場です。また、ニューヨークのメトロポリタンオペラハウスに次いで、世界で二番目に座席収容人数が多いそうです。

材料はイタリアから職人や材料を取り寄せて作られたとの事です。イタリア移民が多く、20世紀初頭の農産物輸出で莫大な富を手に入れたアルゼンチンがイタリア本国に負けまいとして作られたようです。

 

 

カナダ ナイアガラ

カナダ ナイアガラの滝

「世界三大瀑布」の一つがカナダ オンタリオ州とアメリカ ニューヨーク州の境目にあるナイアガラの滝です。日本からも毎年、沢山の観光客が訪れ、秋の紅葉のシーズンにはピークを迎えます。
滝は、アメリカ滝と、その支流のブライダルベール滝、さらにカナダ滝の三瀑布の総称です。五大湖に数えられるエリー湖からオンタリオ湖へと流れるナイアガラ川の中間地点にあり、現地では周辺エリアを含めて「Niagara Falls(ナイアガラフォールズ)」と呼ばれます。
ナイアガラの語源には諸説があるようですが、有力なところでは、先住民族の「ニアガル(雷鳴が轟く水)」という言葉に由来があるという説があります。
ナイアガラの滝の水量は毎時208億リットルです。
テーブルロックは1980年に撮影された映画「スーパーマン2」の中で、主人公のスーパーマンことクラーク・ケントとその恋人がハネムーンで訪れる場所としても登場します。

カナダは紅葉の名所で、このナイアガラの滝はメープル街道の拠点となっています。
ナイアガラの滝は霧の乙女号という遊覧船に乗船することで滝の迫力を体感することができます。乗船の際には、使い捨てのポンチョが渡されるので雨合羽の準備は必要ありません。