旅 常 人 -RYO JYO TO-

旅を振り返りながら、これから旅する方にアドバイスします

インド デリー

インドは広大な面積を誇り、見どころも点在しているため一度の旅行でインドの観光地を見るのは不可能です。


広大なインドを初めて旅する人がまず訪れるのが、ゴールデントライアングルと呼ばれるデリー、アグラ、ジャイプールです。最短5日もあれば廻ることができます。衛生面や食事面で不安があるが、タージマハールは見てみたいという方はこのゴールデントライアングルを旅するだけでインドを満喫できるでしょう。


デリーへは日系の航空会社とインド系の航空会社が直行便を出していますが、値段はインド系が安いですが、サービスは日系がかなり優ります。インドに不安を抱える方は日系を選びましょう。デリーに到着するギリギリまで機内は「日本」です。インド系は搭乗した瞬間から「インド」です。


通貨はルピーで、原地の空港で日本円から両替します。日本の空港でも両替可能ですがレートがあまり良くありません。日本から少額紙幣を沢山用意しましょう。例えば、1万円札を渡して五千円分両替して残り五千円をお釣りで受け取るということが現地では出来ません。

 
デリー空港からデリー市内へは通常、40分ですが、この間は日中ずっと道路が混雑してますので、空港を出発する前に必ずお手洗いを済ませる必要があります。ターンテーブル付近のお手洗いを利用すると良いでしょう。


インドは一流のホテルでもホテルのチェックインに時間が掛かります。いや、むしろ一流のホテル程、時間が掛かります。バスを降りた瞬間、レイという花輪を受け取り、ホテルに入るや暑いチャイを振る舞われ、ようやく飲み切った時にパスポートの提出を求められ、更にチェックイン書類を渡され記入します。手続きは非常にゆっくりで早く部屋に入りたいこちらの気持ちを逆撫でするかのようなマイペースさです。日本を午前に出発するインド便は深夜近くにデリーに到着し、空港から渋滞の中、ホテルに到着し、ようやく部屋に入れるのは深夜の2時とか3時なんてことはザラです。

 

インド北部の主食は、ナンやチャパティといった小麦粉をつかったものが主流です。一方、南インドは米が主流です。日本とは異なる種類のお米です。

ルーマニア ブラショフ

東欧ルーマニアトランシルバニア地方にある「ブラショフ」は、13世紀に築かれた歴史ある町。ドラキュラ城として知られるブラン城も近くです。

ブラン城は「ドラキュラ城」のモデルとして有名です。アイルランドの作家ブラム・ストーカーが発表した小説『ドラキュラ』に出てくる城のモデルなのです。

実際に吸血鬼ドラキュラとなったモデルもいます。ルーマニア南部にあるワラキア公国を治めていたブラド・ツェペシュ(ヴラド3世)という方です。ヴラド3世の父親は、ドラゴン騎士団に加盟していたことから、周囲から「竜公(ドラクル)」と呼ばれていました。ヴラド3世は、竜公の子という意味の「Dracula(英語でドラキュラと読む)」と呼ばれましたが、いつしか竜から悪魔へとイメージが移り変わっていったのです。

城の中には王の執務室や地下牢、拷問器具の展示があり、ドラキュラ伝説を想起させるものばかりです。ブラン城への行き方は、ルーマニア中部の都市ブラショフからバスで1時間ほどです。
黒の教会は町の中心に建つ、高さ65mの後期ゴシック教会です。名前の由来は、17世紀末にハプスブルク家オスマン帝国との間で起きた大トルコ戦争の際に、火事でこの教会も焼けてしまい外の壁が黒焦げになったことから「黒の教会」と呼ばれるようになりました。教会の内部には、トルコやアナトリア産の絨毯、タペストリー、そして1839年に製作された、4000本ものパイプと4つの鍵盤を備えた、ルーマニア最大級のパイプオルガンが飾られています。

国立ブラショフ・フィルハーモニー交響楽団1878年に設立され、ルーマニア屈指の高い演奏水準を誇るオーケストラとして、国内外における公演の他、国際フェスティバルやコンクールの開催など、同国の音楽文化の中枢を担う重要な交響楽団の一つです。

カンボジア アンコールワット

カンボジアは現在でも人口の70%が農民でGDPの30%を農業が占めます。

アンコール王権の拡大のためには農業を充実させることが必須でしたが、この地方の土壌の大部分が水はけがよい砂質土のため、農業にあまり適さない土地でありました。

 

そして砂質土の下には粘土層があり、降った雨は地下に染み込みすぐに流れてしまいます。

雨には比較的に恵まれた土地で、平均降雨量は1300ミリ〜1800ミリ程度で日本と同水準ですが、雨季と乾季がはっきりと分かれています。6月〜11月の雨季は毎日うんざりするほど雨が降りますが、12月〜5月の乾季はほとんどと言っていいほど降りません。

乾季にも農業を続けるには雨季に降った雨を貯蔵する水利インフラが非常に重要だったのです。

歴代のアンコールの王は流水・河川をコントロールする貯水池や水路・運河を建設する土木事業を成功させ、田地に給水させて農業経済を発展させることで王権を維持していました。

さらに水路や運河の建設は、首都と遠隔地を結び政治的統合を維持するためにも重要でしたし、各地からの物産を集約してインドや中国との交易にも活用されていました。

 

つまり、アンコールの壮大な寺院・都城の建設が可能だった理由は、大規模な水利インフラ開発の成功で経済発展に成功し、大量の人口を抱えることができたためでありました。

勿論、寺院の建設はアンコール王権の神性や権威の永続性を目的としていましたが、経済発展と地域開発と表裏の関係でありました。

 12世紀初頭にスーリヤヴァルマン2世によって創建された巨大な伽羅群がアンコールワットです。

 約35年の年月とのべ6万人の手によって作られました。当時は「王様の権力の象徴」または「神々と交信する儀式の場」としての役割がありましたが、王都がプノンペンに移った後しばらく忘れ去られていた期間の長さゆえに神秘性を増したと言えるでしょう。

 

アンコールワットは日本から気軽に行ける渡航先のひとつです。今現在、直行便はなく、ベトナムバンコクから乗り継いで行くのが一般的です。
カンボジア入国にはビザが必要です。現地の空港で取得も可能ですが、事前に取得しておくことをお勧めします。

というのも、玄関口となるシェムリアップ空港の税関員や空港職員は便宜をはかる代わりに賄賂を要求して来る人がたまにいて、到着して早々そういう輩とのやり取りで不愉快な思いをするくらいなら多少面倒でも事前取得したほうがマシだと思うからです。
アンコールワットは日の出の時間に見るのがベストで、撮影がメインの旅行者は朝早くから場所取りで良い場所を陣取っています。
遺跡周辺は街灯がなく、駐車場から入口に掛かる橋を渡る時は注意が必要です。というのも、橋には欄干がないのです。一年のうち、何人かは川に落ちてしまう人がいます。ですので、アンコールワット見学には懐中電灯は必須ですね。
アンコールワットのお土産としては、アンコールクッキーというものがあります。実は日本人が開発した商品で、それまで観光客、特に日本の観光客が買えるようなお菓子がなかったのが誕生の発端だそうです。日本人の為のアンコールワットのお土産と言えるでしょう。

イースター島

イースター島は南米のチリ領ですが、チリ本土から遠く離れた孤島です。島のことを住人たちは現地語でラパヌイ(大地)と呼びます。チリの沖合から遥か3800キロも離れてますから、彼らがこの島を大地と呼ぶことに異論はないでしょう。
人口は約3000人、観光客は年間に約25000人が訪れます。

 

日本からイースター島へはタヒチを経由するか、アメリカからチリに経由する方法があります。最短コースはタヒチ経由ですが便数が少なく運賃も高いので、少しでも安く行くとすれば遠回りでもチリからイースター島に入る方法となります。

 

巨石像のモアイは世界中の人々にイースター島の名を知らしめました。火山島で痩せた土地ゆえに資源の少ないイースター島にとって、モアイは貴重な観光収入をこの島にもたらします。1000体を超えるうち立っているのはわずか10分の1程で、その殆どは土中に顔を埋めたまま横たわっています。

大きいもので高さ9メートル、重さが90トンにも達し、島の内側を向いて立っている様は世界に例がないほど神秘的です。オロンゴの岩壁や洞窟には、奇怪な鳥人の顔が描かれ、またコハウ・ロンゴ・ロンゴという文字盤には、象形文字が残されています。
モアイ像は加工しやすい「凝灰岩」から出来ており、更に硬い「黒曜石」で出来た石斧で作られたそうです。


物価は孤島ということもあり、高めです。お土産は石や木で出来たモアイ像の彫刻が人気があります。だいたいが島の人による手づくりです。モアイ像のシールやチョコなどもあります。各モアイ像付近の売り子から買うよりは村の売店で買うほうが安くて品質も良いです。
島内の観光はツアーでしたらチャーターバスなので問題ないですが、個人旅行の場合はタクシーとなります。港に何人かいる運転手と個人交渉です。あからさまに値段を吹っかけてくる輩はあまりいませんがやはり値段をしっかりと決めておくべきでしょう。

 

島の料理はマヒマヒ、ラペラペ(ウチワエビの仲間)などの地魚と鶏胸肉を使った料理が多く、主食はパンですがサツマイモも欠かせない食材です。塩コショウとレモンだけのさっぱりとした味付けは、日本人の口によく合います。海に囲まれているだけあって、新鮮な魚介類に恵まれ、特にマグロは島の名物のひとつです。生魚は南米の代表的な料理であるセビーチェや刺身にして食べます。セビーチェは島の郷土料理で、生の魚介と野菜をライムで和えたものですが、南米本土のものに比べて辛くないのが特徴です。クラントまたはウムと呼ばれる料理は肉、魚、イモを地中に埋めて蒸し焼きにする伝統料理で特別の日のご馳走として作られます。

港付近にレストランが何軒かあります。
レストランには刺身を置いてあるところがたくさんあります。メニューには「SACHIMI」なんて書いてあることも。そこはご愛嬌でしょうか。
また、島には一軒だけ、「日本食の店」があります。
安く食事を済ませたい時はスーパーでパンを買うといいです。種類が豊富で味もしっかりしています。全般的に物価高のイースター島においては破格の安さです。

通貨は、チリのペソですが、島内では米ドルがそのまま使えます。日本円から現地通貨には両替が出来ませんので、日本で米ドルに両替が必要です。

島内の最大集落はハンガロアという村で島唯一の集落です。島の全人口約3000人の殆どがこの村に住んでいます。

教会から港へまっすぐ走る南北の大通り(テ・ピト・オ・テ・ヘヌア通り)、学校から車の修理工場にまっすぐ走る東西の大通り(ポリカルポ・トロ通り)この二つの大通りが村の中心で公共施設・宿泊施設店舗などが集まっています。

モアイの切り出し場のラノ・ララクへは、村から車で約30分です。入場には入場チケットが必要です。
この山から島内のほとんどのモアイが切り出されました。近づくにつれ、たくさんのモアイが見えてきます。