旅 常 人 -RYO JYO TO-

旅を振り返りながら、これから旅する方にアドバイスします

アメリカ グランドキャニオン

世界でも比類なきスケールを誇るグランド・キャニオンの大峡谷は誰もが驚嘆する大パノラマです。東西の全長は約446km、峡谷の最大幅は約30km、最も深いところで1800mを超える断崖が続くなど、想像を絶するほど壮大なスケールの大自然が広がっています。

約7000万年前の地殻変動によって大地が隆起し、約4000万年前からコロラド川による浸食が始まったとされるこの場所では、今なお浸食が続いており、新たな渓谷美が未来に向かって更に創られていきます。最深部の地層は約20億年前のものとも言われており、地質学的に貴重な峡谷としても知られるほか、約4000年前からネイティブ・アメリカンの人々が暮らしたことでも知られ、その多面的な魅力で世界中の旅人を魅了し続けています。

グランド・キャニオン国立公園」の玄関口となるのは、コロラド川を挟んだ「サウスリム」(南壁)と「ノースリム」(北壁)の2ヵ所。一般的には、アクセスが良好でホテルやレストラン、ショップなどが揃う「サウスリム」が、観光には便利です。

タヒチ

タヒチ・ヌイ(大タヒチ)とタヒチ・イティ(小タヒチ)の2つの島で構成されているタヒチは、仏領ポリネシアの島々の中では最大の面積を誇ります。
首都であるパペーテは近代的な街並みにエキゾチックな雰囲気漂う港町です。市内にはレストラン、お土産物屋も多くあり、観光客で賑わっています。椰子の木が貿易風にそよぎ、白く輝く家々が丘陵地帯に立ち並んでいます。

フランス文化の影響を最も強く受けた島ということもあって、フランス製品を筆頭に世界の一流品が手に入ります。

その一方、奥地に入れば険しい山々や熱帯植物に覆われた谷があり、糸を引きながら落ちる滝、水量豊かな清流、色鮮やかに咲き乱れる熱帯の花々など、タヒチならではの自然が存分に残されています。 街散策の他には様々なスポーツも楽しむ事ができます。
成田国際空港からタヒチまでの飛行所要時間は、直行便で約11~12時間、時差はハワイと同じで、現地時間は日本より19時間遅れです。

日本時間からタヒチの現地時間を計算するには、日本時間に5時間足し、日付を1日遅らせるといいでしょう。

日本からタヒチへの直行便やハワイとニュージーランド経由のフライトがあります。成田国際空港からエア タヒチ ヌイが週に2直行便(土曜日と月曜日)あり、タヒチへのアクセスは簡単です。

4つ星、5つ星のリゾートホテルがいくつもあり、サービス、雰囲気、さまざまなアクティビティ、プライベート用設備など、世界でもまれなほど充実しています。

タヒチならではの水上のバンガローもハネムーナーを中心に人気があります。多くの施設では、複数あるテラスから海に直接入ることができ、海中を覗けるガラス張りの床やプール、庭などを備えています。

南太平洋のさわやかな貿易風の影響で、タヒチの気候は常夏ながらも1年中快適です。気温・水温ともに平均27° Cで、1年中太陽の光に恵まれて快適に過ごすことができます。

タヒチの人々にとって踊りは、彼らの文化を象徴するものです。
昔も今も、島の人々にとってダンスのない暮らしは考えられません。

人生の節目を祝ったりや豊穣を祈る祭りなどの宗教儀式の踊り。アリオイという旅芸人の集団は依頼を受けて各地で豊穣や戦いの神オロへの信仰を踊りで表現しました。

 

 

ペルー マチュピチュ

ペルー マチュピチュ

南米ペルーアンデス山脈に位置するインカ帝国の遺跡マチュピチュは「空中都市」という異名があります。600mも切り立った断崖の上に5㎢にもわたって広がるその光景は圧巻という言葉しか思いつきません。
アメリカ人探検家のハイラム・ビンガムが1911年に発見しました。翌年から発掘を始め、多くの女性の遺体が見つかり、ここは太陽神に仕える巫女たちが住んだ場所だと断定するに至ります。 
インカ帝国は標高3000m~4000mのアンデス山地に広がっていました。巨大な石を使った建築や黄金細工、織物など、当時としては大変高度な文明を持ち、繁栄を極めました。しかし、その繁栄も、1533年にスペインの征服者フランシスコピサロの手により、一瞬にして崩れさりました。

当時のことを記したスペイン側の裁判記録によると、マチュピチュは9代パチャクティ王(在位1438‐71)の時代に建設された別荘地で、聖なる土地だったそうです。何故このような高地に断崖絶壁の都市を築いたのかは未だ解明されておらず、だからこそ、マチュピチュに対する人々の想像力を駆り立て続けるのでしょう。

ご存知の方も多いと思いますが、宮崎駿さんの「天空の城 ラピュタ」のモデルになった場所でもあります。

 

玄関口のアグアスカリエンテスは、現地の言葉で“熱い水”という意味です。どことなく日本の温泉街のような雰囲気を漂わせています。それもそのはずで、実際に温泉がありのです。個人的な印象としては、宇奈月温泉に何となく似てると思いました。温泉好きな日本人としては、折角なので浸かりたいところですが、入浴には水着が必要で、温度は非常に緩く、日本にあるような温泉をイメージして行くとかなりガッカリすること必至です。

雨季に限らず散策にははカッパが必須です。快晴でも、時折、スコールのような雨が降ることが多いからです。また、防寒具にもなります。

標高が高いので日差しが強く、日焼け対策もしないといけません。帽子、サングラス、日焼け止め、タオルは一通り準備して間違いないです。

お手洗いですが、入り口ゲートを入ると中にはトイレはありません。入口には、有料のお手洗いがあります。米ドルでの支払いも出来ます。

お手洗いの隣りに有料の荷物預けがありますので、少し身軽になりたい場合に重宝します。

マチュピチュ村からマチュピチュの入場口まではシャトルバスがピストン運行されており、観光客も登山客も例外なく、このバスを利用します。所要時間は片道約30分で、料金は往復20ドルです。
バスは、至って普通のシャトルバスですが、いろは坂のようなカーブの多い道を走るので、車酔いしやすい人は注意が必要です。

マチュピチュの入口では、入場券(チケット)と身分証明書としてパスポートが必要になります。忘れずに持参しましょう。

入口から歩くと、「真っ直ぐ行く道」と「左へ上がる階段」に分かれますが、「左へ上がる階段」をまずは上がります。

急な階段をしばらく上がると、、マチュピチュ遺跡全体が見渡せる高台へたどり着きます。

 

スペイン バルセロナ

スペイン バルセロナ

芸術に興味のある方にとっては「ガウディゆかりの街」として大変興味深い町でしょう。グエル公園、グエル邸、カサミラなどガウディが携わった建築物が街に点在していますが、中でもサグラダファミリアは一際目を引きつけます。これらの建築群はガウディの作品群という名称で世界遺産に指定されています。

晩年、ガウディは全ての建築熱をサグラダファミリアに注ぎました。建築資金を寄付で賄っていたため「完成まで300年掛かる」と言われていましたが、安定した入場料収入のおかげで工事も順調に進み、2026年に完成を迎えることとなりました。

グエル公園は1900年から1914年に掛けて作られた富裕層向けの住宅になるはずだったのが予算の都合で途中から公園に変わったという変遷があります。


スペイン料理はオリーブオイルを大量に使うので、どうしても高カロリーでヘビーなものとなります。胃袋には限界があるので昼か夜をレスト ランで食べたらあとの一食はバルで軽くタパスを1,2品つまむ、もしくはピンチョスバルなどの自分で容易に量の調整ができる料理にするのがポイントです。
また、パエリヤですが、日本で食べるそれとは全く別物で本場の物は既に述べましたがオリーブオイルをこれも大量に使っていて、これこそヘ ビーな料理の代表。前菜はなるべく軽いサラダ等にしてお腹一杯になってきたと思ったら、もったいないと思わず残す勇気が必要です。

 

モロッコ フェズ

ロッコ フェズ
世界最大の迷宮都市といわれているフェズは世界遺産に登録されています。
789年、ベルベル人のイドリース1世によりイドリーズ朝が建設され、フェズは王都となりました。マリーン朝などの以後のイスラム王朝でも王都とされ、13世紀頃からモスクやマドラサイスラム教における高等教育施設)が造られ、芸術や学問の中心として繁栄しました。

外敵の侵入を防ぐために街並みが複雑になったとようで、坂や路地、階段が入り組んで、車が入ることができない場所が多く見られます。そのため、今でも物流の手段としてロバやラバが使われています。

フェズはフェズ川の両岸にモスクが出来て始まりました。
観光で歩く場合も、現地に詳しいガイドが同行しないととても歩いて廻れません。たまに肝心のガイドが迷子になるそうですから、迷宮という異名は伊達ではないです。

旧市街を廻る上で一番の目印はブージュルード門です。この門から始まる通りをタラー・セギーラ、これと垂直に交わる道をタラー・ケビーラといいます。周囲は城壁に囲まれていることを念頭に置いておくと少し気楽に廻れるでしょう。

フェズの地場産業として、「皮のなめし」があります。こちらでは、「タンネリ」と呼んでいます。街中にはいくつものタンネリ工場があります。また、中を見学することが出来ます。パッケージツアーの場合、お手洗い休憩を兼ねて見学する場合が多いです。ツアーですと、無料で見学出来ますが、個人の場合はチップ程度の入場料が掛かる場合があります。

エジプト ギザのピラミッド

エジプト ギザのピラミッド

ピラミッドというと、「ギザのピラミッド」を一般的にイメージするかと思いますが、実は世界中にあります。中国、ボスニア・ヘルツェゴビナやインド、スーダンなどにあります。またエジプト国内にも140程のピラミッドがあるそうです。

「3大ピラミッド」とは、エジプト、ギザの砂漠に並ぶ3基のピラミッドの総称です。
このピラミッドが造られたのは、約4500年前、紀元前2500年頃とされており、メンフィスとその墓地遺跡として世界遺産に登録されています。

古代エジプト王国のファラオ(古代エジプトの君主)の墓陵で、被葬者はクフ王カフラー王メンカウラー王とされています。
首都カイロの近郊にある世界最大の石造建築です。また世界の七不思議で唯一、存在しているのがピラミッドです。

ピラミッドはギザの町を走っていると、
突如として街なかにピラミッドの先っちょが現れます。

世界遺産にもなっているギザの3大ピラミッドの開場時間は8:00~16:00(夏期は~17:00)で、朝8時になると一斉に観光バスが乗り込んできます。

クフ王のピラミッドは3大ピラミッドのなかで1番大きく、「第一ピラミッド」とも呼ばれています。

現在は頂上部分が崩壊して137mですが、
もともとの高さは146.6mありました。

カフラー王のピラミッドは3大ピラミッドで真ん中にありスフィンクスから見ると真後ろにあります。

現在は頂上部分が崩壊して約136mですが、
もともとの高さは143.5mありました。保存状態がよく、エジプトで最も美しいピラミッドともいわれています。

メンカウラー王のピラミッドは3大ピラミッドの中ではいちばん小さくて高さは65.5m。

メンカウラー王のピラミッドの南側には
王妃のピラミッドが3体、そしてメンカウラー王のピラミッドの奥はもうリビア砂漠になっています。

 

「ピラミッドでラクダに乗りたい」と考えている方も多いと思います。しかし、これがなかなか厄介です。現地には少しでも観光客からお金を取ろうとあの手この手で騙そうとする輩が大勢います。例えば、「1回5ドル」で交渉して、ラクダに乗った途端に「動いたらプラス5ドル」「写真を撮ったら更に5ドル」最後に「チップに5ドル」という具合にです。ですから、どうしても乗りたい場合、観光ガイドや地元のエジプト人に間に入ってもらうのがいいです。

中国 万里の長城

広大な面積を持ち、悠久の歴史を誇る中国の最も代表的な観光地といいますと万里の長城が挙げられるでしょう。

紀元前214年に秦の始皇帝によって建設されました。現存する人工壁の長さは約6250㎞です。この長大な万里の長城のうち、観光出来るのは北京からほど近い八達嶺長城で毎日、沢山の人で賑わいます。

万里の長城を舞台にした伝説の戦いを、イーモウ監督がハリウッドの最新技術を駆使し作成された映画が最近、話題を呼びました。マットデイモンが主人公の傭兵ウィリアムを演じています。
公開された予告編では、富や名声のために、より強力な武器を求め世界を旅してきたウィリアム(デイモン)が、人類を守るために建設されたという万里の長城にたどり着きます。60年に一度現れる、圧倒的な攻撃力をもつ謎の敵を前に、「大義のためなら死を恐れない」と決意を固めた仲間と出会い、戦う理由を新たに見出すさまがクローズアップされています。
撮影のために、5000個以上の武器、2万個以上の小道具が制作されたそうです。威風堂々とした万里の長城の景観に、壮絶な戦いを予感させる戦士たちの大軍が圧倒的な映像美で描かれています。

一部の観光エリアを除いて9割近くが崩落し、消滅の危機に瀕しているのが、最近の大きな問題です。

また、整備が行き届いておらず、工場建設による無断取り壊しなど、人的被害もみられています。

このような問題が起こる背景として、「文化財保護意識の低さが、長城消滅危機の主因」と専門家は指摘しているようです。

 北京近郊の「八達嶺長城」など、観光名所であるエリアは潤沢な予算が注ぎ込まれ修復が定期的に行なわているものの、その他のエリアは明の時代に完成して以降、今日に至るまでほとんど修繕されることもなく、大半の部分は「野長城」と名付けられるまでに頽廃した姿を晒しています。そのうえ、人為的な破壊が至る所で起きて、近年中国メディアが惨状を伝えています。

 ダム工事により地盤沈下になったり、鉄道や道路などの建設で寸断されたり、長城のレンガが沿線の住民に建築資材に転用されたり、骨董品として売られたりしている。城壁に穴をあけてトイレや家畜小屋などにする農民もいるとか。